わたくし3ヶ月ほど前に、いろいろあって個人のFacebookにこんな投稿をいたしました。
わたしが毎日必死で作る料理を、家族があまりに食べないので、お互いイライラしない道として、平日の夕飯は白飯だけにしたらどうかと提案したら、夫にまで「それもいいかもね」と言われました。
料理が好きになるように、手料理が美味しくなるように、お料理教室に通ったり、勇気づけとか言い方とか共感とかもろもろ勉強したりいろいろしたけど、もはやこの悲しみにどう手をつけたらいいかわかりません…_| ̄|○
このとき、本当にたくさんの方からメッセージを頂いたんです。
本当にうれしかった~☆
みんな、毎日の食事作りを悩みながら頑張ってるんだなって思ったら、すごく心強かったです。
あのときの私を助けてくれた言葉がたくさんあったので、後日ご紹介しますね。
そしてこの時、「落ち着いたらブログに書きます」と書いたものの…
3カ月かかってしまいました(;^_^
忙しかったとか、ほかに書きたいことがあって後回しにしていたとかいうことより、思ったより根が深いようで、文章に書けるほどの形がなかなか見えなかったんです。
どうしても、「食べてもらえない」悲しみの根っこがわからなくて。
アドラー心理学は、「過去の原因より、未来に向かった目的」に注目する心理学です。
頂いたメッセージたちや、友だちが貸してくれた本なんかで、割と早々に前向きな方法は取れるようになりました。
でもね、せっかく叱らない「勇気づけの子育て」を勉強しても、「ひとくちでも食べられていることに注目する」を実践しようとしても、回数は減ったものの、わたしが作ったご飯を食べようとしない次女を、やっぱり時々「いいから食べなよ!」と叱ってしまうんです。
そのたびに見える、次女の悲しそうな顔といったら。
やっぱり向き合うっきゃありません。
わたしの向き合い方は、いつもこのブログです。
書いているうちに、なんだか道筋が見えてきて、すっきりするんです。
良かったらどうぞお付き合いくださいm(__)m
あの時、自分がどうしてあんなに落ち込んだのか。
わたしの「食事作り」に関するモヤモヤ・イライラを、掘り下げてみますね。
目次
わたしの「食事作り」に関するモヤモヤ・イライラ
1、人が作った料理を食べないってことは、よっぽど美味しくないんだろう
まずね、わたしは子供の頃から食べることが大好きで、「特に好きな物」はあっても、嫌いなものはなかったんです。
人に作ってもらったものを残すなんて、ありえないとも思ってました。
だから、偏食の次女はまだしも、好き嫌いの少ない長女や、大人である夫がわたしが作ったものを食べないなら、よっぽど美味しくないんだろうなと思っていました。
だって、パパの作ったご飯は大喜びでおかわりするもの(-_-;)(我が家ではパパの方が料理が得意)。
旦那さんも、しょっちゅうお総菜買って帰って来ては、わたしのご飯が手付かずだったりするし、結婚してから「美味しい!」って言われたこと、ほとんどないし…。
2、子どもや夫が「美味しい!」と喜ぶ食事が作れないコンプレックス
「自分の食べたいものを作ったらいいよ」というのは以前からよく聞きましたが、わたしの好みは「和食」「粗食」「薄味」。
切干大根とかひじきとか味噌汁とか、そういったものです。
さらに、「一家のお母さん」としては、家族に栄養を付けて健康でいてもらいたいし、お弁当を持っていく旦那さんのために、お弁当に入れられるようなおかずも作りたい。
そうなると、いつも、シチューやカレーではなく、野菜はたっぷり、薄味でカロリー控えめの和食ばかり出来上がります。
でもね、それだとみんなますます食べないんですよね…。
「栄養を付けてもらう」どころじゃない(-_-;)
「今日のメニューもあんまり食べてもらえなかったなぁ…」
「スーパーのお総菜やパパのご飯はよく食べるのになぁ…」
「もっと子どもや夫が喜ぶものを作らなきゃ…」と思う日がしょっちゅうある。
料理を作ること自体に、ずっとプレッシャーを感じていたんだと思います。
3、忙しくても「ごはんは作らなきゃ」
そして、夏以降、サロンをオープンしてからの忙しさ。
秋頃は特にやりたいことリストが山盛りでした。
全部自分の好きなことだったから、子どもの世話や家事じゃなくて、何時間でもサロンのことをしていたかった。
だから、毎日夕飯時になると、自分の好きなことをするのを、引きはがすように「諦めて中断」し、夕飯の用意や家事を「イヤイヤ」やってました。
冷凍食品とかにもっと頼れば良かったんだろうけど、わたし、あんまり出来合いのものが好きではなくて。わたくし、グルメなんですの(笑)
それに、「お金は節約するもの」で、「外食や中食(お総菜を買ってくること)は、我が家には贅沢すぎること」だと思っていました。(これに関しては、また別のお話があります。)
最低限、簡単な物でもとにかく「作る」ことが「愛情」であるとも思っていたような気がします。
そうして「頑張って」作るものの、ギリギリまで中断できないから、余裕のない時間でバタバタとしなければいけなかった。
そうすると、結構な確率で失敗して、自分でもあまり食べたくないものが出来上がる(-_-;)
すべての目的に失敗した「あの日」~「最後の手段」
そして、Facebookに投稿した「あの日」。
あの日も、バタバタと作ったうえ、見た目からしてあまりうまく作れませんでした。
次女は当然食べないし、頼みの綱の長女も、その日は食べなかった。
夫もこの味と見た目では今日もまた食べないだろう。
必死でやっていた分、目的だった「美味しいものを食べたい」も「美味しいものを作って家族に喜んでもらいたい」も「家族に栄養のある食事を用意したい」も全部失敗して、ダメージ大!(-_-;)
もうこれ以上、「食べてもらえない」ショックを受けたくない。
「いいから食べなよ!」と子どもを叱ることもしたくない。
だったら、落ち込んだり怒ったりする状況をなくそう。
そうだ、「わたしがごはんを作ることをやめよう!」。
そして、子どもたちと、珍しく早く帰って来た夫に「平日の夕飯は白飯だけにしたらどうか」と提案しました。
「平日は子どもたちも給食で栄養取って来てるんだし、週末にお父さんの美味しいご飯で栄養を取ったらいいんじゃないか」って。
でも、そう言うことで、本当は家族に「そんなことないよ、お母さんの(きみの)ごはん美味しいよ。これからも食べたいよ」と言ってもらいたかった。
長女は「え!?わたしはおかずも欲しい」と言ってくれて、結構嬉しかった。
でも、夫はそうは言わず、「それもいいかもね」。
わたし的には「最後の手段」でした。
こう言えば、さすがに欲しい言葉をくれるだろうって。
でも、それを使っても、欲しい言葉はもらえなかった。
言ってもらいたかった言葉と正反対の言葉を言われたことで、「あなたのごはんは、毎日食べたいほどではない」と言われたんだと思って、目の前が真っ白になりました。
それで、例のFacebookへの投稿。
限界だったのが、プッツンしちゃんたんだよね(;^_^
今回のことを通して見えてきたもの
わたしが「食事作り」に感じていたイライラ・モヤモヤは、この3つでした。
- 人が作った料理を食べないってことは、よっぽど美味しくないんだろう
- 子どもや夫が「美味しい!」と喜ぶ食事が作れないコンプレックス
- 忙しくても「ごはんは作らなきゃ」
同じように思っている人、いらっしゃるかしら?
この3つから見えてくること。それは?
「家族が喜ぶ美味しいご飯を作ることが主婦の仕事」という無意識のマイルール
全然そんなつもりはなかったんだけど、たぶん「家族に美味しくて栄養のあるご飯を作ることが、主婦であるわたしの役割」と思っていたんじゃないかなと思います。
家族が手料理を食べない度に、ダメ出しをされている気がしていました。
「主婦として最低限の仕事もできないなんて、自分はなんてダメな母親・妻なんだ」と、自分を否定していたのかもしれません。
わたしにとって、「食べてもらえない」ことは、「最低限の仕事もできないダメな主婦」と突きつけられること。
せっかく叱らない「勇気づけの子育て」を勉強しても、「ひとくちでも食べられていることに注目する」を実践しようとしても、どうしても次女を「いいから作ったもの食べなよ!」と叱ってしまう理由は、本当はこっちにあったのかもしれません。
「料理に手間をかけることが愛情」というマイルールもあった
上でもちらっと出てきたけれど、「料理に手間をかけることが愛情」というマイルールもあったんだと思います。
ずっと、「子どもがいるから」「仕事しているから」と、「手抜き」や「時短」、「冷凍食品やお総菜を使う」なんかは仕方のないことだと思ってやってきました。
でも振り返ってみると、料理に手間をかけなかったり、出来合いのお総菜や冷凍食品を使うことにずっと罪悪感を感じていた気がします。
だから、料理でもお菓子でも、手料理より市販のものの方がよく食べるのを見ると、敗北感でいっぱいでした。
特に冷凍食品やお総菜を買ってくることがなかなかできずにいたのは、そういった理由かもしれません。
でもそのせいで、余計に自分の首を絞めていたんですよね。
喜んで・褒めてもらいたかった本当の目的
わたし、ずっと「お母さんの(きみの)ごはん美味しい!」と家族に言ってほしかったんです。
美味しくなくても、せめて手間をかけたことに対して「用意するの大変だったよね、頑張ってくれてありがとう」って言ってほしいといつも思っていました。
一度でなく、何度でも言って欲しかった。
それって、どうしてでしょう?
「ほら、わたし、こんなにがんばってるでしょう!?」「わたしのおかげで、みんな幸せだよね!?」って、わたしが「主婦として充分頑張っている」ことを周りに評価してもらいたかったんだと思います。
わたし自身が、自分が「いいお母さん」「いい妻」であると思いたいのに思えずにいたから、周りに「そんなことないよ、とってもステキなお母さん・奥さんだよ。愛してるよ」と言ってもらいたかったんじゃないかな。
うん、発見。
「ステキなお母さん・奥さんでいることで、家族に愛してもらいたい」と思っていたんですね。
「家族が愛するお母さん・奥さん」ってどんなもの?
さて、「一生懸命用意したご飯を家族が食べてくれない」と落ち込んでいたわたしの本当の望みは、どうやら「家事・育児をこなすすてきなお母さん・奥さんでいることで、家族に愛してもらいたい」ということだったようです。
それに気づいて俯瞰して見てみると、子どもたちも夫も、わたしに「料理の腕」は求めていないんじゃないかなと思いました。
先日のブログ記事
にも書いたことですが、たぶん、家族はどんなわたしでも、そのままですでに愛してくれているんじゃないかな。
「お料理が上手なお母さん・奥さん」でも「いいお母さん・奥さん」でもなくていい。
そりゃ、そのオプション、あればラッキーかもしれないけど(笑)
あえて言うなら、「(一日中じゃなくても)そばにいて」「ニコニコしている」お母さん、「幸せそうにしている」奥さん。
それが一番嬉しいんじゃないかな。
つまり、
わたしのことを、大好きでいて欲しい
↓
どんなお母さん、奥さんが愛される?料理や家事が上手な人?
↓
それより幸せそうでニコニコしてる人じゃない?
食事の用意について、「じゃあ、どうする?」
これがわかったら、対策は変わります。
「もっと美味しいご飯を作らなきゃ」じゃないですよね?
- 料理にかける時間を減らして、自分の余裕や家族と接する時間を作るほうがいい。
- 「美味しいご飯で幸せ」になってもらいたいなら、子どもの好きなカレーやシチューや冷凍のから揚げでもサイコーじゃないか。
そういったものを用意しても、家族が思うのは「わたしの好きなものを用意してくれた。嬉しい♪わたしって愛されているのかも♪」と思うだけで、「わたしの健康のことを考えてくれていないなんて、なんてひどいお母さんなんだ」とはきっと思わない(笑)
ここでちょっと寄り道
ステキなお母さん・ステキな奥さんのハードルを上げてしまう理由
家事育児って、「お金の収入」という目に見えてわかりやすい評価や見返りがないから、自分が役割を果たせているのかどうか、とっても見えにくいですよね。
「やってあたりまえ」みたいな風潮もある。
だから、感謝されたり褒めてもらったりしないと、気が付かないうちに「やるべき課題」をどんどん上げてしまいます。
「あれも、これも、それもやって、ああ、でもまだ何も言われない。これでも”普通”のことなのね。これでもまだ不十分なのね。」って。
もし、今回の「食べない」問題を他の人から聞いたとしたら、わたしは、その人の料理の腕が問題とは露ほども思わないんだけどな(;^_^
あなたはもう充分すぎるほど頑張っていると思うよって。
やっぱり、人に評価を委ねて、ねだってばかりいると、いいことないですね^^;
次女ちゃんが「わたし頑張ってるよね!?お母さん、わたしのことちゃんと大好き!?」って何度も聞いてくるんです。
わたし、次女ちゃんが頑張ってるの知ってて尊敬してるし、たとえ次女ちゃんが頑張ってなくたって、心から愛してます。
でも、24時間言い続けることなんてできません。
それに、彼女を見ていて思うのだけど、結局は本人が自分のことを信じてあげてなければ、周りがいくら言ったって納得も満足もできないですね(^_^;)
わたしが何度だって「美味しい」「頑張っているね」と言って欲しかったの、次女ちゃんとそっくりです(笑)
今回の振り返りで見えてきたことだし、今度こそ「お母さん・奥さん」の自分を好きになれるような気がします。
最近のわたし
食事の用意が苦手じゃなくなった
話は戻って。
わたし最近、食事の用意が苦じゃなくなってきたんです。
冷凍のフライやコロッケもよく使うようになったし、週末にカレーやシチューを作る機会も増えました。
こんな考え方もできるようになって、出来上がったものを買うハードルもだいぶ下がりました。
コンビニに行くとついでに冷凍のお総菜やパンなんかを買うことができるようになりました♪
(前はあんまりできなかった(;^_^))
お母さんの料理は美味しい
ずっと思えずにいた、「お母さんの料理は美味しい」も、自然と思えるようになってきました。
前は感じていた「料理が苦手」という意識が、今はあんまり感じません。
こう思わせてくれた理由はほかにもあるんですけど、長くなったのでこれはまた次回に書きますね。
家族の反応
家族の反応はどうなったかというと。
好き嫌いの多い次女ちゃんを含め、子どもたちの「美味しい!おかわり!」が増えました!
次女ちゃんの好きな揚げ物や市販のもの、混ぜるだけの簡易調味料とか、よく使うようになったからね(^_^;)
次女ちゃん、幼稚園では給食も残さず食べますが、みそ汁やお魚を始め、家ではあまり食べないものが多々あります。そういったものは、今でもほとんど食べません。
でも、以前から続けているいくつかの工夫で、みそ汁の汁だけでも飲んでくれるようになったり、ひとくちだけでも頑張ってくれるようになっています。
これまでは、それでもその頑張りを認められずにいました。
「完食」以外はどうしてもモヤモヤしていたし、イヤイヤ食べ終わった途端に「おやつ食べていい?」と言われると、わたしの料理を食べることが罰ゲームだったの!?と思えて、素直に喜べませんでした。
でも今度こそ、次女ちゃんが残したり、みそ汁の汁しか飲まなかったりしても、怒らずに「ま、いっか」と思えるようになりました。
「お汁飲めたね。ひとくち頑張ったね!」と言えるようにもなりました。
「今日は美味しいごはんができた!」「これ、絶対おいしいから!」と言って食卓に出せるようにもなったから、なんとなく食べてくれることが増えたような気もします。
食べなくても、「わたしの料理は美味しいから、きっとそのうち食べるようになるだろう」「わたしの美味しいごはんを食べないなんて、なんてもったいない」って思っている自分がいる(笑)
以前より、食事の雰囲気が、明るくなった気がします♪
ずっと思うようにいかなかった「楽しい食卓」が、やっと家族みんなでできるようになってきたかも(≧▽≦)
夫はね、相変わらず買い食いしてくるし、わたしの料理あんまり食べてないけどね、もういいや(;^_^
わたしの美味しいご飯を食べないなんて、もったいないことしてるわ(笑)
思わぬ副産物
それから、これは意外だったのだけれど、仕事の量をセーブすることができるようにもなってきました。
昨年はそろそろブレーキをかけていきたいと思いながらも、なかなかかけられずにいました。
それで、ますます家事や子供にかける時間が取れなかった。
家事育児がダメな分、せめて仕事を頑張るお母さん・奥さんでいることで、誰かにほめて欲しかったのかな?
でも、こんなブログを書けるくらい、なんだか自分に余裕ができてきた気がするんです。
最近は、家事も育児もダメじゃないし、今のままのわたしで「ま、いいんじゃない?」って思える(笑)
で、「今日はもういいか」と仕事をやめて、子どもと少しだけど公園に出てみたり、一緒に料理を作ってみたり、新聞を読んでみたり、ぼんやりしてみたり(←何もしないでぼんやりするなんて、わたしにはあり得なかった(;^_^))。
ホームページ作りとか、講座の見直しとか、ブログに書きたいこととか、とりあえずひと山越えられたってだけかもしれませんけどね。
穏やかな時間を感じることが増えた気がします。
結論
- 家族が私の手料理を食べないことで感じていた悲しみは、 「主婦は美味しいご飯を作らなければならない」という無意識のマイルールがあったから。
→家族が「美味しい」と食べる料理を作れないわたしは、ダメな母親・妻。
「これでは愛してもらえない」という悲しみだった。
- 家族が愛する「お母さん・奥さん」に、料理の腕やどれだけ手間をかけたかは関係ないのではないか。どんなお母さん・奥さんでも、今のままですでに家族は愛してくれている。
→あえて言うなら、愛されママは、「幸せそうでニコニコしている」ママではないか。
- 「幸せそうでニコニコしているお母さん・奥さん」でいるために、食事の用意は、自分に余裕を作ったり、家族との時間を作ったりできる方法を取ればいいのではないか。
→「手抜き」「時短」は、むしろ建設的で前向きな言葉だった!(≧▽≦)
というわけで、「家事・料理に手間や時間をかけない」ということが、罪悪感なくできるようになり、日常に余裕ができるようになりましたとさ♪ チャンチャン♪
「料理が苦手」「家族も食べない悲しみ」については、他にもわたしの気持ちを楽にしてくれたきっかけがいくつかあります。
こちらの記事にまとめましたので、ぜひ御覧くださいね。