今回のブログは、「料理が苦手。」シリーズの続きです。とりあえず、今回がラスト!(のはず!(笑))
最初の投稿:料理が苦手。家族も食べない。でもみんな優しい(T ^ T)
その後の投稿①:「料理が苦手。家族も食べない。」~その後①~わたしの意識改革編
その後の投稿②:「料理が苦手。家族も食べない。」その後②~みんなのコメント編
その後の投稿③: 「料理が苦手」を楽にしてくれた本たち
今回は、アドラー心理学の理論と、前回に引き続き、こちらの本に知恵をお借りして、「食事を用意すること」について考えてみたいと思います。
(以下の文章中の引用文のうち、特に引用元の記載がないものは、すべてこの本からの引用です。)
「食事を用意する」ということ
「家事」は立派な「仕事」
家事や育児って、自分の家でやる分にはお給料が出ないので、どう捉えたらいいのかわからなくなることって、ないですか?
一生懸命頑張っているけど、お金を稼いでいない引け目を感じてしまったり。
わたしは、それで自ら自分にダメ出しするハードルを作ってしまいがちでした。
そんな話を先日こちらにも書いたので、よかったらご覧くださいませ☆
「料理が苦手。家族も食べない。」その後①~わたしの意識改革編
それについて、先日読んだアドラー心理学の本に、この「家事」についてどう捉えるかが書かれていました。
アドラー心理学では、わたしたちが人生で直面しなければならない様々な課題を「ライフタスク」と呼びます。
ライフタスクは、「仕事」「交友」「愛」の3つに分類され、わたしたちは生活の様々な場面で、それぞれのライフタスクに自分なりの対処をしていきます。
「愛」のタスクは、異性関係や家族関係の課題。
「交友」のタスクは、他人との付き合いに関する課題。
そして「仕事」のタスクは、わたしたちのすべての「生産活動」です。
- すべての生産活動を仕事のタスクと呼ぶ
- 職業だけにとどまらず、私たちそれぞれが役割としてもっている生産的な活動すべてを指す。
- 職業についている人にとっては職業が、学生にとっては学業が、主婦にとっては家事や育児が仕事のタスク
つまり、家事や育児も、立派な「仕事」「生産活動」なんですって!
我が家は、夫が外で仕事をしてお金を稼ぎ、わたしが家で家事や育児を担当する専業主婦家庭です。
家事育児はお給料が発生しないから、なんとなく達成感とか社会への貢献感とかなくやってたけど、
ちゃんとお仕事してるってー!!
アドラー心理学では、「社会は人々の協力によって成り立っている」と考えます。
社会と言えば、家庭も一緒ですよね。
一昨年流行したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で、みくりと平匡さんは、最後家庭をひとつの会社と捉え、夫婦を「共同経営責任者」とする考え方にたどり着きました。
共同経営責任者だから、家事も共同の「お仕事」として分担するし、何か困ったことがあったら話し合って解決する。
夫婦で働き方が一緒でも違っていても、お金を頂く「お仕事」と、家のことや子供に関する「お仕事」を夫婦で分担する。なんなら、子どもも「〇〇家の一員」として、お仕事の分担に加わる。
全国の家事育児に奮闘中のみなさん!
それは立派な「仕事」です!
専業主婦だって、家のことや子どものことを担当してくれている家族がいるから、安心して外に働きに行けるんです!
家族の安心の土台を作る、とっても大事なお仕事をしてるんですよー。胸を張りましょう!
ちなみに、上記の本、アドラー心理学で心を楽にする導入本として、とってもおススメの本ですよ♪
立派な「仕事」なんだから…
そして、家事育児に手を出してくれない旦那さんがいたら、堂々と相談して分担しましょう!
旦那さんがいっぱいいっぱいで家のことに手を出せずにいるなら、家事の「機械化」や「簡素化」「外注」などの「業務改善」もいいと思います。
育児なんかでは、一時保育などの手を借りたりといった、「マンパワーを増やす」といった策もあるかと思います。
企業なら、仕事の偏りや残業が慢性的に多くなってきたら、当然行う処置ですよね?
それをただ長時間労働で補う会社は「ブラック企業」と呼ばれるのです…。
それを家事に置き換えたら?
「病気」や「過労死」、夫婦不和から「離婚」をするくらいなら、業務改善をしたり、お金を先行投資したりする方が、よっぽど有益なのではないかと、最近思うのです(;^_^
あ、あと、少し大きくなってきたら、「子どもに仕込む」ってのもありかも!
人生何が起こるかわかりません。
ママがいつまでも元気で何でもやってくれるとは限らないんだし。
小学生どころか幼稚園児でも、練習すれば、割といろいろできるもんですね^_^
「食事を用意する」という「お仕事」
次に、「食事を用意する」という「お仕事」がどういう仕事なのか、考えたいと思います。
1、家族の命を支える仕事
生きていくためには、食べることが必要です。
広い意味では、口からだけではなく、胃ろうや点滴といった方法の方もいらっしゃいますが、とにかく栄養や水分を摂らなければ、人間は死んでしまいます。
食べるものは、体質にも直結します。
食べることで私たちの体質は作られる「体質即食物」だと、医師の秋月辰一郎先生は言っていました。
(中略)
食べ物によって体調を崩すことがあり、食習慣によって病気にかかりやすくなります。反対に、食べることで私たちは健康でいられるし、病気にかかりにくい体質にもなるのです。
人の細胞は絶えず生まれ変わり、数カ月もすればほぼ別の肉体になると言われます。
食べたものが新しい細胞を作る。
食べるものは体質をも変える。
以前、砂糖や牛乳を使わず、玄米や手作りみそのお味噌汁といった純和食を給食としている保育園のお話を自主映画で観たことがあります。
(映画「いただきます みそをつくる子どもたち」)
いろいろとこの映画から感銘を受けることは多かったですが、特に衝撃だったのは、重度のアトピーの子が、こちらに通ってこの給食を毎日食べるうちに、数カ月ですっかり症状が治まるケースが相次いでいるということ。
以前の記事でわたしは、家族の食事がすべて「美味しい手料理」である必要はなくて、市販のものなども、作るのが負担になるくらいなら、どんどん活用するほうがいいのではないかと考えました。
そもそも、頑張って「美味しい手料理」を作ったところで、美味しくなったお味噌汁でさえ、「我慢して飲んでいる」とおっしゃる我が家の次女さんのような人もいる(-_-;)
それでも、わたしたちは家族の健康を考えて、市販のものでも野菜をプラスしたり、なるべく身体に安全なものや身体にいいものを選ぼうとしていると思います。
スナック菓子もマックのハンバーガーも食べるけど、毎日三食それで終了にはしないでしょう?
それって、立派なスキルですよね。
次女に食べるものをすべて任せていたら、おやつしか食べないもの(笑)それじゃあ、いつか病気になっちゃうんじゃないかなぁ(-_-;)
好き嫌いの多い子供とケンカしながら、せめて栄養満点な味噌汁の汁だけでも飲んでねとか、子どもも食べるメニューはないかなと試行錯誤したりとかするわけです。
先日、助産師さんが講師の講座に参加したんですが、特に女の子は、生まれたときからすでに卵巣に将来赤ちゃんの素になる「卵子」を持っているんだそうです。
日々ご飯を食べて、大きくなりながら、その卵子も育てているんですって。
つまり、「女の子を育てるということは、将来のあなたの孫のことも育てているんですよ」っておっしゃっていました。
新しい生命の誕生には「卵子」だけでなく「精子」も必要。
そう思ったら、男の子を育てるということも、やっぱり将来のわたしたちの孫を育てているってことのような気がします。
家族にご飯を食べさせることは、やっぱり家族の命を支える、とってもとっても大事なお仕事なんですね。
余談ですが、癌を予防する「抗酸化作用」。
これを世界の食品で最も多く含む食品が、「みそ」なんだそうです。第3位は納豆。
やっぱり味噌汁だけは、極めてみようかな!
2、家族の心を支える仕事
うちの家族は「お腹がすいたら食べるものがある」ことが当たり前と思っています。
もしかしたら「食べたいものが出てくるとは限らない」とか「美味しいものが食べられるとは限らない」くらいは思っているかもしれませんけど(;^_^
でも、食べられることを「あたりまえ」と思わせているって、すごいことじゃないですか?
毎日食事を用意するのって大変。
買い物だってしないと、食べるものは用意できません。
買い物をするには、お金を稼がないといけません。
「お腹が空いても食べるものがない」という悲しい家庭だってある。
なのに、うちの家族はあたりまえに「お腹がすいたら食べられる」と思ってる。
それって、毎日毎日、家族に何かしら食事を用意できているからですよね。
家族には「あたりまえ」で意識もされないことかもしれませんが、そのことで無意識に「わたしは(ぼくは)家族に大事にされている」という、心の基礎みたいなものを支えているんじゃないでしょうか。
食事の用意は暮らしのリズムを作ること
人生とは、食べるために人と関わり、働き、料理して、食べさせ、伝え(教育)、家族を育て、命をつなぐことです。
この文を読んだ時、びっくりしました。
わたし、そこまで生活の中で食事に重点を置いてなかった。
食事も、美味しいものを食べたいとは思うけど、それまで「食べられればいいじゃん。ほかにもっとやりたいことあるじゃん」って考えてた。
でも、確かに、人は生きるために食べ、食べるために人生の多くの時間を使っている。
食べることは、もっと丁寧に向き合った方がいいんじゃないかって思いました。
それから、それまでやっつけ仕事だった食事の用意を、少し丁寧な気持ちでやるようになりました。
そうしたらね、なんかホッとするんです。
食事の用意って、毎日すること。だから、暮らしのリズムとか、心の置き場のようなものを作ることができるのかもしれません。
これには、「マインドフルネス」という、精神医療にも使われることがある手法の中に、実際にそういうプログラムがあるんです。
が、これはまた別の機会に。
「食べることは生きること」
この言葉、いろんな料理家さんの本で見かけます。
私たちは生きている限り「食べる」ことから逃れられません。
離れることなく常に関わる「食べる」は、どう生きるのかという姿勢に直結し、人生の土台や背景となり、人の姿を明らかにします。
普段どういったものを食べているか、どんな食習慣を持っているか。
食事に関することに、その人の生き方も現れるんですね。
うん。
「食べること」、あんまりおざなりにはしないほうがいいのかもしれません。
これまでより、少しだけ丁寧に、少しだけワクワクと楽しんで、やっていけるといいなぁ♪
まとめ
- 家事は立派な「仕事」であり、「生産活動」のひとつ。胸を張りつつ、過重労働にご注意を。
- 「食事の用意」は、家族の命と心を守る大事なお仕事。
- 「食事の用意」は毎日避けられないこと。その分、暮らしのリズムを作り、心の置き場を作るきっかけにもできる。
- 「食べることは生きること」 今より少しだけ丁寧な気持ちで取り組んでみるご提案。
おまけ:「一汁一菜でよいという提案」書籍について
前回・今回とお世話になったこちらの書籍。
こちらの記事に、著者へのインタビューが載っていたので、よかったらご参照ください。
家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由 | ハフポスト
この本、読んでいてすごくホッとしました。
土井先生がおっしゃっている内容もそうだけど、日本的な雰囲気って、たぶん静かで安心できる雰囲気なんじゃないかな。
読んでいてすごく癒されました。
よかったら、みなさんも読んでみてくださいね(o^―^o)